第3章:「過去の解釈と矛盾の検証」— それでも五行は鉱である

3.1 「金」は本当に五行の一部なのか?

従来の五行の教えでは、「金」は金属を表すとされてきた。しかし、ここで問いたい。

「金は自然の摂理に適合しているか?」

木・火・土・水は、いずれもそのままの形で自然界に存在し、循環する要素だ。しかし、「金」だけは金属、すなわち「人間の加工」を前提とした存在ではないか?

この矛盾は、まるで「地球が宇宙の中心である」という誤った常識が信じられていた時代に似ている。事実はこうだ。

「金属は自然界の一部ではなく、鉱物から取り出される『人工的な産物』である。」

つまり、「金=金属」という解釈こそが、五行における最大の誤謬なのではないか?

3.2 五行の矛盾:「金はどこから来たのか?」

従来の五行のサイクルでは、「土が金を生む」とされる。しかし、これは科学的な事実と一致しない。

「金ではなく、鉱こそが五行に適合する。」

3.3 科学 vs 伝統:「それでも五行は鉱である」

歴史を振り返れば、「金」は常に武器・貨幣・権力の象徴だった。それは人間の社会的解釈であり、五行の本質とは関係がない。

科学の視点から見ると、五行の「金属」解釈には以下の致命的な問題がある:

つまり、五行の「金」の定義を鉱物全般に広げることで、初めて五行のサイクルは完成するのだ!

3.4 それでも五行は鉱である

ガリレオ・ガリレイが地動説を証明したように、「金ではなく鉱である」という新解釈も、いずれ時代に受け入れられるだろう。

たとえ現在の主流派がこれを受け入れなくとも、この理論の正しさは「自然の摂理」と「科学的事実」が証明している。

「それでも五行は鉱である。」

つかさ流「木火土鉱水」の理論、ここに確立!!

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